お坊さまが歩く京都、舞妓さんが歩く京都、観光客が歩く京都。
そして今の季節、最もよく目にするのが修学旅行生。
京都にいるのにお寺にしばらく行ってないぞ、と思い
そうだ、東寺に行こう! 家から自転車ですぐだし、
なんでも国宝の帝釈天像はイケメンで名高いらしいし!!
国宝の山であるお寺さまに行くのに不純な動機で向かったわたし。
そして図らずも、修学旅行生の団体に混じることになり、
それが東寺探訪を思わぬ感動の時間とさせてくれました。
京都のシンボルとも言える五重塔。
五重塔と言えば八坂の塔(法観寺)でしょ、と思っていたわたしに、
夫は「いや、京都人にとっては五重塔って言ったら東寺でしょ。
前よく通るし。八坂のほうは観光地だからなあ」とひと言。
な~るほど。まだまだ観光者気分のわたしは、
駅向こうの東寺のほうにあんまり行ったこともないし、
京都のかたに馴染みのあるという五重塔を近いうちに観にいこう、
と心に決めていたのでした。
当日は雲ひとつないパキッとした快晴。
むしろ暑すぎる…初夏を通り越して夏の始まり、と言えるようなカンカン照りの日。
ゆっくり境内を歩く。参道では縁日の準備が始まっている。
大きな樹の影がはっきりと濃い昼下がり…
このお堂の壁側面に並んでいるのは… |
ひとつひとつ異なる、如来、菩薩、明王が描かれている。 |
アップで見るとこんな感じ。 |
ほのかに賑やかな参道を通り過ぎ、
御影堂に入る。
「聖域につき、自転車乗り入れ禁止」。こんな注意札も、京都では納得。 |
御影堂では、お経をあげてもらっている人がいたり、
熱心に祈っている人もいて、静粛な時間が流れていました。
御影堂側から参道を望む。厳粛な時間と対比する縁日の眺め。 |
静かなお堂をあとにし、メインイベントの五重塔に向かう。
修学旅行生が多い、きっとここだな、と思いながら拝観券売所を見つけ、
敷地に入ると見えてきた、見えてきた、五重塔。
近づくにつれてその大きさが増し、前に着く頃にはさすがの圧巻の眺め。
これが本物かあーと感慨深く思いながら、内部に入る。
これが江戸時代から建っているなんて! |
おもての暑さが信じられないほど、
ひんやりと冷たい空気に包まれてほの暗い。
真ん中には四つの柱に囲まれた仏像、
四方の壁には偉いおかたと思われる僧侶の画。
あれ、お坊さまの足もとには靴も描かれているなあ、
と目を凝らして見ていると、修学旅行生数人の班が入ってきて、
一班ごとに同行しているとみられるガイドのおじさんの説明を受けている。
おっ、いいなあ。わたしも解説のおじさんにお話してもらいたいなあと思っていた矢先、
出口近くの学芸員のおじさまに声をかけていただいた。
「この四方の壁にはね、弘法大師(=空海。東寺の創建に関わった人)をはじめとして、
全部で8人の高僧が描かれています。
足もとに靴が描かれたかたは中国の人、
サンダルのようなものが描かれたかたはインドの人なんです。」
へえー、そうなんだ! と思い見回すと、確かに違いがある。
「弘法大師のお師匠が隣に描かれているこの人、さらに向こうがそのまたお師匠…
という風に、遡って描かれているんです。弘法大師は、8人目です」
弘法大師が一番最近の人なのね!びっくり。
「塔というのはね、お釈迦様のお墓なんですよ。
インドでね、『ストゥーパ』と言われていたものが中国で『ソトバ』になって、
日本で『塔』になりました。『ストゥーパ』はお墓のことで、
どこから見ても拝めるように、高いお墓を建てたんです」
「それでこんなに高いんですね」
「はい。また、この五重塔は東京で建設中のスカイツリーのモデルです」
え、そうなの!?
「中央に心柱がありますね。これを中心にして各層を積み上げていて、
力が分散する柔らかい構造になっているんです」
なるほど~~~
その他、仏像は金剛界の曼荼羅を表していることなど、静かに、
そして丁寧に説明をしてくださいました。
往時は極彩色だったであろうことがわかる壁の彩色、黄金だったであろう仏像群…
時を経て色褪せていても、その美しさは今なお鮮明に訴えかけてくるものがありました。
あまり興味がなさそうに説明を受けている修学旅行生たちを尻目に見ながら、
おじさんの話をちゃんと聞いておきなさい、
わたしはこの年になってここに来て勉強し直しているんだよ…と老婆心ながら思ってしまいました。
しかし、わたしがようやくこういったことに興味が持てる年になった、
ということもあるのでしょうね。
説明をしてくれたおじさまにお礼を言って、わたしは五重塔をあとにしました。
あとから、修学旅行生も出てくる。
勉強をしている真最中、ということではわたしも彼らと同じです。
このあと、当初の目当てであった帝釈天を観に、
金堂・講堂に向かうわけですが、それはまた、次回へ。
こころの旅は、まだまだ、続きます。
五重塔と修学旅行生。彼らのおかげでわたしもまた、あの頃の気持ちに戻って見ることができた。 |