京都、つむじ風私的百景
2011年2月、東京から京都へお嫁入り。 時に旅行者、時に地元住民。
10 February, 2012
Babys are waiting
子どもを持つということを考えた。
それであるふたりが思い浮かんだ。
わたしの身近に、ふたりの女性──母がいます。
ひとりは地方で生まれ育ち、
自分の子どもも大自然の中で育て、”生きる力”を育んでもらいたい、と
普通の幼稚園ではなく、自然学校に通わせようとされています。
ご自身も海洋学校で自然のことを教えていた経歴の持ち主。
味噌を手作りすることもできれば、カヌーを漕ぐこともできる。英語も堪能。
お子さんはのびのびと、とても幸せそうに毎日を自然の中で過ごしています。
家族はいつも一緒でとても楽しそう。
もうひとりは東京で生まれ育ち、
自分の子どもも都会で育て、自分の子どもの才能を伸ばしてあげたい、と
お稽古ごとや、いい幼稚園に入れてあげようと真剣に探していらっしゃいます。
ご自身はとても堅実な金銭感覚の持ち主ですが、
お子さんが生後数ヶ月の頃からどんどん海外旅行にも連れ出す。
お子さんは物怖じせず人懐っこくて、挨拶やコミュニケーションがしっかりできる、
とても賢い子です。家族は自信に満ち溢れ、ユーモアもあり、ポジティブ。
相反するようなふたりですが、
ふたりの生きかたや子育て方針にはとても憧れます。
でもわたしには、ふたりのようなバックグラウンドや知識もなければ、
金銭的余裕もありません。
わたしは思いました。
「こんな中途半端なわたしがもし親になっても、子どもを幸せに育てられるの?
ふたりのようなことはしてあげられないし、特別なことがしてあげられなくて、
その子が”自分にはこれがある”っていう何かが持てずに大人になったら?
その子がもし自分が子どもを持つことを考えたとき、
自分のような大人にはなって欲しくない、と思ったら?」
考えすぎなのは承知。
そして結論はこうでした。
わたしにはふたりのような子育てはできないかもしれない。
ましてや全く同じということは不可能に近い。
でもわたしは、子どもにこんな人間になってもらいたい。
相反するふたりのような生き方や価値観、どちらにも理解を示し、
どちらの個性や長所も認め、尊敬できる人間に。
わからないこと、未知のこと、
自分と全然違う人・文化・世界に果敢に飛び込んでいく勇気を持てる人。
自分が知らないことに対して、素直に、謙虚に、敬意を持って「教えて」と言える人。
そして「ありがとう」を言える人。
それから何よりも、健康で幸せな人間に!
一見まったく違うあのふたりも、結局は同じ願いを口にしていました。
「この子には、とにかく幸せになって欲しい」──
親の気持ちは皆同じ。
戦争がない世界も、
原発に頼らない世界も、
食べ物や水が安心して口にできる世界も、
大人になって年金や雇用形態を心配せずに仕事できる世界も、
全部わたしたちがつくることができる。
わたしたちの世代は色々な問題を抱えている。
だからこそこれからいい世界にするか、このままでいいか、もっと悪くするのか、
本当にわたしたち次第なんだと思います。
子どもたちは待っている。
わたしたちがつくる世界を。
ふたりのように特別じゃなくていい。
「わたしたち」の一員であるわたしが、いつもいい世界をつくろうと心がけていれば。
自分の子どもにそれを感じてもらえれば。
そんな風に落ち着いた、早春の午後でした。
27 January, 2012
天の川のほとりの小さな学校
10年前、創刊して間もない、ある雑誌に
「誰も知らない草原カフェ」という見出しで特集されていたのをきっかけに、
いつか行きたいとずっと思っていたSEWING TABLE COFFEE。
大阪・枚方市の星が丘という町には、その名も「天の川」という川が流れています。
宮澤賢治の世界を彷彿とさせるすてきな名前のその町の、
川のほとりに古い洋裁学校があります。
そしてさらにその奥に、このカフェはひっそりと佇んでいます。
東京にいた頃、行きたいなあと思いながらも場所柄もあって行けないまま、
早10年が経ってしまいました。
関西に引っ越してきたし、そろそろ行ってみようかなと思っていた矢先、
お友だちのえんちゃんがポストカードの展覧会に作品を展示販売するというので話をきくと、
なんと偶然SEWING TABLEと同じ敷地内にあるSEWING GALLERYでの展示とのこと。
こうして不思議な縁あって、念願の場所に行くことになりました。
ギャラリーは小さな校舎の中の教室を一部屋改装しただけで、
奥にある別の教室は現役の洋裁教室。
古いのになぜか清々しく、あたたかみがある空間です。
今回の展覧会は「繕いの便り展」として毎年冬に催されるそう。
えんちゃんも何回か出展しているそうで、黒板を見ると#10とある。
そうか、わたしが初めてここを知ったちょうどその年から、
ここは静かに続いてきたんだな、とうれしくなりました。
そして、カフェ。
コーヒーを作るサイフォンの音。
テーブルに白い貝殻。
古い木材で作られた小船が点在する土壁。
差し込む夕陽。
わたしが愛する静謐な空間が、想像そのままにそこにありました。
ここの店主は女性。
カフェの隣で陶芸もされるようで、カフェのメニューはその手作りの器で頂けます。
目の前の草原には畑もあり、鳥かごがあり、テーブルもある。
でも一番すてきだったのは、
それまできりりと締まった表情をされていた店主の女性に
「ごちそうさまでした」と言ったときに返してくれた、とびきりの笑顔でした。
星の丘の学校の、小さくて静かな草原カフェ。
想いが10年越しで叶いました。
25 January, 2012
お久しぶりで、再開します。
19 October, 2011
たまには、こんなのも。
たまには京都と全然関係ない話題を。
最近好きな動画があって、それが"100 Years Style East London"
スペイン?かどっかのアパレルメーカーが新店オープンのプロモーションで作ったそうです。
2011年から100年遡ってファッションの変遷を見せてるんだけど、
これがすごい。
衣装だけでなく、ダンス、音楽、背景、メイクまで変えてどんどん切り替わっていくんです。
全て同じダンサーがやっているので、衣装を変えメイクを変え、
撮影に丸3日間かかったらしい。
個人的には冒頭と終わりの2011年のファッションと、
0:44から0:47あたりのファッションが好きです。(1950年代後半あたり?)
こういうの好きです。
やっぱり、ファッションは楽しい。
18 October, 2011
心得
テーブル上の幸福 |
挙式まで1ヶ月を切り、最も忙しい時期を迎えています。
バタバタしているようでいて、思ったほどではない感じもしています。
それというのも、やはり沢山の人の支えがあってこそ。
挙式準備をしていると、本当に色々な人たちに助けてもらっていると感じる。
理解ある、職場の上司や先輩。
式場のスタッフの方たち。
招待状の活版印刷を手がけてくれたマダム。
ブーケを依頼するフローリストショップのスタッフの方。
ヘアサロンのスタイリストさん。
エステサロンのお姉さん。
ウェルカムボードの額装について教えてくれたハンズのスタッフさん。
マリッジリングを買ったお店で働く知人。
二次会幹事を承諾してくれた夫の友人。
受付や余興を引き受けてくれた友だち。
退職後3年も経つのに列席してくれる元上司。
きょうだい。
被災地から来てくれる親族。
多大な協力をしてくれた両家の両親。
そして沢山の我儘を聞いてくれた夫。
お店の方には対価を払っていることも勿論あるけれど、
サービスされている、という感覚は全然無い。
助けてもらっている。これに尽きます。
周りの人、特に夫には日頃から
「ありがとう」という感謝の言葉を伝えることを心がけています。
(そのかわり、夫には我儘やイライラをぶつけることも沢山ありますが…)
一番近い夫婦だからこそ。
ちょっとしたことでも。
日常の中にこそ。
東京にいた頃。
回り道が多くて、思いつきで行動して不安定で、逃げ出したりしたこともありました。
逆に会社に泊まりこみで働いたり、職場の方とケンカしたり、ストレスで病気したり。
慣れない仕事で一生懸命頑張って、3年目にやっと、
滅多に人を褒めない先輩に知らないところで褒められていたこともあったなあ…
行雲流水 則天去私
わたしの座右の銘。
あるがままに。なすがままに。
私欲を捨てて天に従う。
がんばらない私が、それなりに頑張ったこともある。
でもそうやって生きてきたつもりでいた自分が、
本当は沢山の人に生かされてきたのだということ。
遅ればせながら、挙式準備を機に深く感じたこの思いを、
長く長く、心に刻んでいこうと痛感した最近です。
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