10 February, 2012

Babys are waiting



子どもを持つということを考えた。
それであるふたりが思い浮かんだ。
わたしの身近に、ふたりの女性──母がいます。


ひとりは地方で生まれ育ち、
自分の子どもも大自然の中で育て、”生きる力”を育んでもらいたい、と
普通の幼稚園ではなく、自然学校に通わせようとされています。
ご自身も海洋学校で自然のことを教えていた経歴の持ち主。
味噌を手作りすることもできれば、カヌーを漕ぐこともできる。英語も堪能。
お子さんはのびのびと、とても幸せそうに毎日を自然の中で過ごしています。
家族はいつも一緒でとても楽しそう。


もうひとりは東京で生まれ育ち、
自分の子どもも都会で育て、自分の子どもの才能を伸ばしてあげたい、と
お稽古ごとや、いい幼稚園に入れてあげようと真剣に探していらっしゃいます。
ご自身はとても堅実な金銭感覚の持ち主ですが、
お子さんが生後数ヶ月の頃からどんどん海外旅行にも連れ出す。
お子さんは物怖じせず人懐っこくて、挨拶やコミュニケーションがしっかりできる、
とても賢い子です。家族は自信に満ち溢れ、ユーモアもあり、ポジティブ。


相反するようなふたりですが、
ふたりの生きかたや子育て方針にはとても憧れます。


でもわたしには、ふたりのようなバックグラウンドや知識もなければ、
金銭的余裕もありません。
わたしは思いました。
「こんな中途半端なわたしがもし親になっても、子どもを幸せに育てられるの?
  ふたりのようなことはしてあげられないし、特別なことがしてあげられなくて、
  その子が”自分にはこれがある”っていう何かが持てずに大人になったら?
  その子がもし自分が子どもを持つことを考えたとき、
 自分のような大人にはなって欲しくない、と思ったら?」


考えすぎなのは承知。
そして結論はこうでした。

わたしにはふたりのような子育てはできないかもしれない。
ましてや全く同じということは不可能に近い。

でもわたしは、子どもにこんな人間になってもらいたい。

相反するふたりのような生き方や価値観、どちらにも理解を示し、
どちらの個性や長所も認め、尊敬できる人間に。
わからないこと、未知のこと、
自分と全然違う人・文化・世界に果敢に飛び込んでいく勇気を持てる人。
自分が知らないことに対して、素直に、謙虚に、敬意を持って「教えて」と言える人。
そして「ありがとう」を言える人。

それから何よりも、健康で幸せな人間に!


一見まったく違うあのふたりも、結局は同じ願いを口にしていました。
「この子には、とにかく幸せになって欲しい」──

親の気持ちは皆同じ。

戦争がない世界も、
原発に頼らない世界も、
食べ物や水が安心して口にできる世界も、
大人になって年金や雇用形態を心配せずに仕事できる世界も、
全部わたしたちがつくることができる。

わたしたちの世代は色々な問題を抱えている。
だからこそこれからいい世界にするか、このままでいいか、もっと悪くするのか、
本当にわたしたち次第なんだと思います。

子どもたちは待っている。
わたしたちがつくる世界を。


ふたりのように特別じゃなくていい。
「わたしたち」の一員であるわたしが、いつもいい世界をつくろうと心がけていれば。
自分の子どもにそれを感じてもらえれば。

そんな風に落ち着いた、早春の午後でした。